視察3日目の今日は岩手県陸前高田市と宮城県石巻市に行きました。陸前高田市では「大震災の教訓を活かした防災への取り組みについて」教えていただきその後「東日本大震災津波伝承館いわてTSUNAMIメモリアル」を視察しました。石巻市では「震災復興の取り組みと防災減災対策について」教えていただきその後「大川小学校跡」の視察をしました。
今季の初雪が降っていた陸前高田市では「陸前高田市東日本大震災検証報告書概要版(リンクはこちら)」を基に取り組みをご説明いただきました。この報告書は、「なぜこれほどの被害が起き、人命が失われたか」の要因を検証するとともに、災害対応の教訓を整理し、今後発生が予想されている南海トラフ巨大地震、首都直下地震などに対する全国自治体の防災計画の参考となるようにまとめられたものです。
この報告書の「本検証作業から得られた主な反省と教訓」の最初の項目としてあげられているのが「避難が何より重要」です。自分の命を助ける避難行動を取るかどうかで結果が大きく変わってしまうことを肝に銘じて、日ごろからの防災教育や訓練の実施を呼びかけています。
説明では、この表の、津波死亡・不明183名のうち、避難しなかった人は約40%にのぼるのに対し、被害無し3979名のうち避難しなかった人は5.5%にとどまっていることに注目するべきだということでした。まずは避難する。その際は、あらあじめ指定されている避難場所に行くことが難しい場合は少しでも安全なところへ避難してほしいということでした。「今まで大丈夫だったから、今回も大丈夫だろう」といった根拠のない判断をしていないか注意して、まずは避難する。避難とは、命を守る行動である。ということを、繰り返しおっしゃっていました。こうした教訓をもとに、陸前高田市では「避難マニュアル(リンクはこちら)」を作成しています。こちらもぜひご一読いただきたいです。
また、避難所の運営についての訓練では、市役所の人間がいない前提でするべきだということでした。大規模災害時に多数開設される避難所の全てに役所の人が駆け付けられると考えるべきではないとのことで、確かにその通りだと思いました。避難者はお客様ではない。みんなでなんとかできるようにしないと、避難所が機能しない。日ごろの訓練から、災害時にどんな役割をして、どんなルールで避難所を運営するのかについて、実際にそこに避難することになる可能性がある地域の人でしっかり話し合っておくべきだとのことでした。行政は情報の伝達、物資の運搬や仮設住宅の準備、各種手続きなど公助の役割を担うため、災害時には自助や共助で多くのことを乗り越えなければならないことを前提に備えることが大事になりますね。
東日本大震災津波伝承館いわてTSUNAMIメモリアルは、先人の英知に学び、東日本大震災津波の事実と教訓を世界中の人々と共有し、自然災害に強い社会を一緒に実現することを目指して建設された施設です。震災の記憶を風化させないための記録や証言、被害の状況を伝える実物資料などが展示されていました。証言や各地の津波の様子がまとめられた映像資料は、数字では伝わらない緊迫した状況に、自分がその場にいたらと想像すると、恐くて胸が苦しくなりました。増加する自然災害にどう備えるのか、家族で、地域で、しっかり話をしておかなければなりません。
宮城県石巻市へ移動して、石巻市防災センターで「震災復興の取り組みと防災減災対策について」教えていただきました。
震災復興の取り組みについては、市内の被害状況と復興に際して行ってきた取り組みについてご説明いただきました。想定をはるかに超えた津波によって甚大な被害が出たことを教訓に、平成26年石巻市防災基本条例(リンクはこちら)が制定されたそうです。市民、事業者、市の協働で築く「災害に強い安全で安心なまちづくり」が掲げられており、「守る」「逃げる」「伝える」を念頭に置いた津波避難体制の整備を目指しているそうです。「守る」ための堤防の多重防御、盛土。「逃げる」ための津波避難ビル・避難タワーの整備や、避難経路となる道路の整備。「伝える」ための災害情報伝達の方法を増やし、少しでも多くの人に情報が届くように多層化を進めてきたそうです。
また、陸前高田市と同様に災害に対しての地域の備えにも力を入れていました。自主防災組織や消防団に加え、避難所となる学校を軸とした地域防災連絡会を結成して、その中で防災訓練等についての検討などもしているそうです。また、市民に関心を持ってもらうために、スーパーの駐車場などの広い場所で人が集まる場所で、防災フェアを開催したりして、広報活動をしているとのことでした。人を集めるのではなく、人がいる場所へ。那覇市では今年、県と合同で県庁前や市役所などを活用して総合訓練をしておりましたが、防災フェアについてもショッピングモール等の活用を検討してほしいですね。
その後、大川小学校跡の視察をしました。校舎の前には祭壇が設けられており、多くの花が供えられていました。大きなコンクリートの支柱がなぎ倒された渡り廊下を目の前にすると、津波の恐ろしさを感じます。敷地内には説明版が設置されており、津波に襲われる前の写真が示されていました。生徒74名の命が奪われたこととともに、その時にどんな行動がとられていたのか、などが記されていました。行政の責任が問われることとなった悲劇を繰り返さないために、痛ましい記憶を風化させないように、慰霊の場所であり、多くの教訓を伝える場所でした。
視察を終え、明日は那覇へ戻ります。