適切な言葉を選べないことについて考えてみる。
あの震災から、日本が音を立てて壊れ始めた瞬間から4年が経ち、
と、ここまでしか出てこない。その先はまだ自分の中の問題だ。 思うことはいろいろあるけど、口から出たら、他人行儀な気がしてならない。
あの時考えたことは、「日常を回せる人は、目盛り一杯に日常を回す」こと 自分にできることは、自分のことをちゃんとすること。 「ずっと頑張る」はできなくても「今日を頑張る」は形を変えながら続けられる。 みんなの日常が少し変われば、いつもより少し背筋が伸びたら、 日常が遠くなった人のところにも、少し、何か、届くと思った。
そのあと考えたことは、忘れてないと、言えるようにすること。 ニュースを追ったり、日記を付けたり、募金をしたり、誰かと話をしてみる。 細かいことがいろいろ抜けても、全部は消えない。
「政治とかよくわからないから、まだ投票に行ったことがないんです。」 という人に会うと、それでも投票に行ってほしいとお願いしています。
最初はよくわからないかもしれないけど、自分で決める。 そして自分が投票した人の様子を追う。 最初の4年間は、市議選だ県議選だ市長、知事選だ国政だって わからないまま、わからないなりに投票することになるけれども その先は、一周して自分の決定と向き合う投票になる。 前回の自分の決定はどうだったのか。今回は誰に何を思って票を託すのか。 基準ができるから、経験が蓄積されていくから だんだんと、ベテランの有権者になっていく。
願わくば、自身が思い描く社会の実現にも力を出して みんなでまちづくりができればいいなと思いますが まずは、選挙をきっかけとして、考えてほしいなと思います。
話を戻して、こういう時に、言葉を選べない時にも 「それでも何か言う」ということが、大事なんだろうなと思うわけです。
もちろんネットで全世界に発信するかは人それぞれですが、 (他人の発言に寛容な世の中とは言い難いですからね) 何かを綴る、それを自分に蓄積していくことが、誰かの気持ちに 寄り添いたい時に、自分から出る言葉を選ぶ力になるんだと思うわけです。
あの日に思ったことを、今日はもう一度、力を込めて考える。 忘れていないし、日常を今日なりに、目盛り一杯回します。