自分をつくるいつかの言葉
先生!賞状もらった!と駆け寄ると
「入選で満足してはいけません。」とピシャリ。
強烈だ。 怒ってばかり。でも、わかる気もする。 2年1組の担任は厳しい先生というより、正しい先生だと感じていた。
順次思い出しながら書いていると、2年生の記憶が多い。まぁ断片的なものではありますが。
辿ると1年生も幼稚園ももっとあるんでしょうけど、前に進めていきますね。
賞状をもらったことを喜んだら怒られるとは、とショックでした。
しかしすぐに、軽率に喜んでいた自分が恥ずかしくなりました。
調子に乗るな、ということなんではないかと思うわけです。
このことは、いろんな場面で思い出します。
嬉しいことって、大抵一人の力じゃないですから。
誰の支えがあったのか。
誰と喜びを分かち合えるか。
評価って、他人がするものですから。
誰による評価か。
自分は自分をどう見るか。
口に出したら、行動に移したら、それが自分だから。
これは「どう見られたいか」ではなく、「どうありたいか」ということですよ。
考えているだけでは生きていけなくて、同じ時間は二度とない中で
何を食べ、誰と何をして、どう生きるのか。
生きてる限り、何かを選び、それ以外を選ばない。先延ばしも含めてね。
満足してはいけませんという言葉の裏側に
「本当にそれでいいのか?」という問いがある。と解釈した。
節目節目に、自分に問う。