一点の曇りもない窓。それが誇りだった。
小学2年の頃だ。私は掃除の時間の「窓ふき」が好きだった。 誰よりもキレイに。黙々と、自分の決めた手順通り、拭く。その時間が好きだった。 蛇口から出る水が冷たくなった頃。手が真っ赤になるほど絞っても
布巾はまだ湿ったままだった。
いくら拭いてもべちゃべちゃ、だらだら。ちっともキレイにはならない。
濡らさなければいいじゃないか。と気付いたのが始まりだ。
蛇口を勢いよくひねり、布巾の片方の端だけをサッとくぐらせる。
そして中央付近を出来る限り固く絞れば、布巾に3段階のグラデーションができる。
べちゃべちゃ、しっとり、さらさらだ。
まずべちゃべちゃのところで大まかな汚れを拭きとる。
そしてしっとりで全体を拭きあげる。
この時、拭いた軌跡に虹のようなものが浮かびあがって、すぐに乾いて消えれば合格だ。
この塩梅が非常に難しく、「しっとり」として使える範囲は日によって違う。
布巾によっても全く違うので、全く濡らさない「さらさら」部分を多めに取ることで調整する。
しっとりは、水の跡が残らず繊維くずもつかない。理想的な姿なのである。
最後にさらさらで仕上げだ。つまり空拭きである。
裏から、表から、光に透かして丹念に拭き残しを探す。
そんな調子で、窓ふきに没頭していた私はある日とうとう「師匠」になってしまった。
私を師匠と呼ぶ彼は転入生のT君。
確か大阪の生まれで、メガネでひょろっとした、色白の男の子だ。
「ホンマにスゴいなぁ~!」と、とにかく褒め上手な弟子だった。
嬉しくなって全ての技を彼に伝授した。
一緒に窓を拭きながらいろんな話をした。
他のクラスメイトとは普段あまりしないような話。
ダイガクの話やシャカイの話、セイジの話。
T君は学校の外の話が好きだった。
「ケイスケはアタマがいいから、きっと何にでもなれるで!」
そんないつかのお世辞が、今も私を動かしているのかもしれない。
あの時のように、自分を信じられているだろうか。