会社の歓迎会の席で「いつか」市議選に出馬します。 という話をしました。 具体的に「いつ」なのかはとても口にできませんでしたが言わなきゃいけないと思っていたので 早いうちに言えてよかったなと思いました。 それからは4年という残された時間を意識しながらも必要とされる社員になれるように
喜ばれる営業マンになれるように走り回りました。
仕事の具体的なことは公にするようなことではありませんのでさらりと振り返る程度に
留めますが、いっぺんには書ききれないほどの気付きと学びと思い出がありました。
そうそう、当初予定していたことではありませんでしたが
仕事の一環で選挙にも携わらせていただき、岡山での経験が活きました。
飛び込み営業から学んだことも多かったです。
知らないところにどんどん入っていく経験って仕事でもないとなかなかできないですよね。
「何の用?」って聞かれても用があるじゃないですか(笑)
そのうち用も無く挨拶だけに行くところも増えてくるとたまにお仕事いただけたりして。
一度お付き合いが始まれば、半年に一回、年に一回の仕事でも
継続していただけるお客様が多く、出会いに恵まれていたなと思います。
もちろん全てのお客様といいお話ができたわけではありませんので
ご迷惑をおかけしてしまったこともありました。
そんな時は「何を謝るのか」と「それからどうするか」を考えていました。
入社当初から鍛えていただいた上司にも何度も迷惑をかけてしまいました。
入社後、飛び込み営業、先輩に同行しての営業
選挙の手伝い等を経て仕事を覚えてきた一年目の終わり。
先輩から一気にお客様を引き継ぐことになり、大変慌てましたが
次々と新しい環境がやってくることは成長するにはいいことだと思いました。
二年目は、引き継いだ仕事に追われて目まぐるしく過ぎていき
三年目はそれに加えて新規事業の担当者としての動きも加わっていきました。
正直、この時期はかなりキツかったです。
残業も増えてしまい休みの日は泥のように眠るか、会社に行って少しでも
平日の負担を減らそうとしていました。
この頃には、市民活動は休ませてもらい、地域の獅子舞もあまり参加できませんでした。
自分はどんな形で会社を去るのか。それを考えると頑張るしかありません。
「何のために働くのか」忙しい時期が少し落ち着くとそんなことが頭をよぎりますよね。
「終わり」を決めていなかったとしたら乗り切れたかどうか、怪しいところです。
印刷の仕事はデザイン制作からの仕事が多く、工場で製品になって
お客様の手元に届いて、集金するまでが一区切りです。
社内の皆様とも密にコミュニケーションを取りながら
お客様の意向に沿うように協力して一緒に仕事をつくっていました。
「中村の持ってきた仕事なら頑張るよ」と言ってもらえた時はとても嬉しかったです。
三年目の終りからは業務改善が進んで、働き方も随分変わりました。
その頃には「いつ辞めるのか」という話も一部にはしており
個人としてブログを書き始めたりしていました。
丸四年。
営業マンとして会社の売上にどれだけ貢献できたのかはあまり自信がありませんが
仕事を辞める際には、営業や総務だけでなく
企画制作や生産管理の皆様にも温かい言葉をかけていただき、送り出していただきました。
就職する前に考えていたとおり「民間で働く経験」は政治家になるうえで大事なことでした。
売り上げのノルマがあって、戦略を立てながら、お客様からお金を頂いて仕事をする。
「その時喜んでもらえたらいい」ではなく、それを継続していくことの難しさ。
体当たりで駆け抜けた学生時代の市民活動とは違う視点から
「まちを元気にする」ことを学びました。
そしてなにより営業を通して、いろんなお客様がいろんな働き方をしており
様々な苦労があること、つまり「日常」がみんなの頑張りで
ようやく回っているんだという当たり前のことを学べたのが大きかったと思います。
その精一杯の状態から「もう少し頑張る」ことの大変さを思えば社会を変えるのは
一朝一夕にはいかないはずですよ。
昨日の続きが今日であり、今日の行動が明日をつくる。
大事なことを吸収できた四年間でした。