大学は1年浪人の末、琉球大学に入学しました。 足踏みしてしまった分、すぐにでも沖縄を元気にする活動がしたいと思い、 サークルを探しましたが入りたいサークルは見つかりませんでした。 そんな時に「地域活性化協力隊-We love Okinawa-」という団体のチラシが目に留まる。
NPOなんて聞いたことはあったけど非営利組織という言葉以上の事は知らなかった私。
学生にもやりたいことができる、自分達で団体を運営するというのが
面白く活動にのめり込んでいきました。
協力隊での活動を通して、フリーマーケットの運営や男女共同参画の
シンポジウム、商店街のイベントのお手伝い、キビ刈り体験プログラムの企画運営など
目まぐるしくも充実した毎日。当時の日記を読み返すとなんとも
「大学にいない大学生」らしいものでした。
授業はちゃんと出てましたが、卒業に必要な単位をわずかに上回る授業だけを取り、
残りの時間は全て市民活動に充てていました。
大学2年の終わりにはプロジェクト未来なはという教育委員会の補助事業の
ネットワーク組織の役員としても活動を始め「沖縄を元気にしたい!」を
かたちにするだけではなく「若者の活動を応援する若者」としても活動するようになりました。
地域は若者の力を求めており、協力隊が「見える若者」であろうとすることで
いろんなお話をいただきました。
そのご縁で沖縄県男女共同参画審議員や
那覇市明るい選挙推進協議会の委員なども経験させていただきました。
この頃もずっと「2013年に那覇市議になります」と言い続けていましたので、政治に
関係する方達にもお会いする機会が増えました。
やってやれんことは、案外少ない。
そう自分に言い聞かせながら、いろんな場所に飛び込んで行く。
そんな時期でした。
学生時代に出会った仲間は今でも大切な仲間です。
走り続ける日々はあっという間に過ぎ去り、次第に焦りが出てきます。
そう、政治家になるための準備が何なのかろくにわからないまま時間が
過ぎてしまっていたからです。
あと6年。
ちょうどそんな時に、父の仕事仲間の方から岡山で
選挙の勉強をしないかとお誘いを受けました。
無所属で出馬しようと考えていたので、沖縄で選挙事務所に入るのは色が
付いてしまう、と避けていましたがどこかで、しっかり選挙のことを学ばなければと
思っていた私にとっては、渡りに船でした。
二つ返事でお受けしましたよ。
後で聞いた話ですが、この時に父は私が本気で政治家になりたいのだなと
覚悟をしたとのことです。
ようやくですか。