将来の仕事を「市議会議員」に決めた私はそのことを周りにも言うようになりました。 面白いもので、反応は様々。すごく心配して止めてくれる方も いましたし、頑張れ!と背中を押してくれる方も多かったです。 たまには論戦を挑まれたりもしました。 高校生活も半分が過ぎ、成績がいいわけでもクラスで目立つわけでもない私。
部活は陸上部に所属して短距離の練習をしていましたが、幼少の頃に患った単純性股関節炎の
リハビリみたいな感じで、自分との闘いのような状況でした。
このまま卒業するのはなんだか学校に申し訳ないなと思いましたし、自分が
必要とされる場所がきっとあると信じていました。
そこで、政治と言えば選挙です。高校生の選挙と言えば生徒会長選挙ですよ。
単純なものです。
生徒会って何をしているのか、いまいちわかっていなかったので、まずは役員になってみようと
2年の後期生徒会役員の面接を受けましたがあえなく不採用。
計画変更でぶっつけになってしまいましたが次の3年前期の生徒会長選挙に立候補しました。
「イベント屋」と言われるくらい忙しく学校行事に追われる生徒会。
生徒会長選挙では「面白い」ことが票に結びついていましたが、私はそういうキャラでもないので
「学校をキレイにしたい」というのを公約にしました。
当時の学校は生徒の自主性が重んじられていましたが文武両道のそれ以外が
ないがしろにされていたように思います。
日常的に弁当殻がベランダに散乱していたりしたのでそのあたりを変えていこうと呼びかけました。
当時の生徒会顧問の先生に言わせれば「ダークホース」の私でしたが、立候補者が
多かったことで2年、3年の票が割れたのか、僅差で私が当選しました。
市議になろうと決めて初めての「選挙」今でもよく覚えています。
生徒会長として活動する中で仲間と一緒になって目標に向かうことの面白さを知り、また自分の
リーダーシップのなさを思い知り、皆に支えてもらいながら生徒会活動に没頭していきました。
当然、目の前には大学受験が迫っていましたが、生徒会が終わる夏まで、始まったばかりの
クリーンキャンペーンがひと段落する秋までと、忙しいのを言いわけにあまり勉強しませんでした。
そして、浪人。
それまでなんとなく、なんとかなってきた私にとって浪人の一年間は自分と
向き合う、重たい一年になりました。
どう在りたいのか。
その言葉を何度も問う時間でした。