昔から安全な道を選ぶ子どもでした。 ルールを守っていれば、怒られることはない。
もちろんそんなことばかり考えていたわけではないけれど
ルールを破ること、怒られることを極端に恐れていたように思います。
政治家になろうと思った背景に、「真面目」を尊ぶようで
「奔放」に憧れ、怖れるような性格が影響している面もあるのでしょう。
政治家になろうと思ったきっかけについては小学校3年生くらいの時にテレビを見ていた
親が、政治状況にグチをこぼしているのを見て「それなら自分でやればいいじゃないか」と
思ったこと、そしてその言葉が自分に返ってきて「自分ならできるか?」を考えたことが
小さなきっかけです。その小さな思いの種が高校の進路選択の時に発芽したというわけです。
小中と成績は優秀なほうでした。
ただ、積み重ねが苦手でテスト前になってあわてて詰め込むタイプで、学力が定着しない
テストのための勉強ばかりでした。そのため成績は少しずつ落ちていきましたが、
気力を振り絞って地元の伝統校である首里高校に進みました。
新しい環境で優等生の役割を続ける緊張が解けたことで、
マイペースで楽しい高校生活を送ることができました。1年生のうちに、2年以降の文系、
理系の選択をするわけですがその時に初めて「どうやって生きていくのか?」を問われたように
感じました。
文系と理系では授業の内容が違うため卒業後の進路、その先の職業まで考えすぎて
しまったわけです。
今にして思うとそんなに考えることもなかったなと思うのですが正解がない選択に決定を下す
理由が欲しかったのでしょう。
その中で選択肢の一つとして残っていた「市議」になろうと決めたのでした。
決めた理由は面白そうだからというのが一番の理由ですが「仕組みをつくる仕事」という
部分に魅かれていました。
私は中学の頃から散歩が好きで、クルマの免許を取得するまでは那覇から
浦添、南風原へと足を伸ばして歩きまわっていました。
そうすると足元のゴミが気になってゴミを拾いながら歩いたりするもので、
いつまで拾ってもなくならないゴミが生まれる仕組みに腹を立てたりするわけです。
いつだったか、団地の公園のゴミを拾っていると男性が近づいてきて
「私の当番で、掃除するつもりでいたんだけどごめんなさいね。」とのこと。
当番はよくある話ですが、そういう誰かが自分のこととして取り組める仕組みが
あればキレイに保つことができるのかもしれないと思いました。
そうした小さな気付きが積み重なって、目の前の課題に対処するだけでなく、どうすれば
その課題が解決できるのかを考える。
その「仕組み」を考えて、動かしていく仕事ってなんて面白そうなんだろうと
思うようになりました。
要因はこれだけではないかもしれませんが、大体このようにして目標は「市議」に
定まったわけですが、当時は実現に向けた具体的なことは何もわかっていませんでした。